アヴァンギャルド情報局

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【DJ基礎講座】 Technoテクノの起源と現在まで


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こんにちは!

アバンギャルドフクイです。

 

今回は昨今のダンスミュージックではEDMと相対するカタチでメインストリームである

〝Techno〟テクノ

と言われる音楽ジャンルを少し掘り下げてご紹介していきます。

 

きっかけはTechno テクノという音楽ジャンルって一言で言ってもそのスタイルは様々あるな〜って思って〝テクノの種類〟についてお伝えしようと記事を書いてみたのですが、やっていくうちにかなり長くなってしまい論文じみて来てしまったので今回はその起源と現在までの歴史についてご紹介していきたいと思います!

 

Techno

テクノ(Techno)とは、アメリカのミシガン州デトロイトを発祥とするクラブミュージック。

 

今で言うところのデトロイトテクノが発祥なんですねぇ〜

 

似てるけど違う音楽ジャンルに…

クラフトワークをはじめとするドイツで生まれた電子音楽

テクノポップ

と言われています。

 

1980年代前半から中盤にかけ、シカゴに隣接する都市であり、同じく黒人音楽の伝統を持つデトロイトでもシカゴとデトロイトを行き来する人々によりシカゴ・ハウスが持ち込まれ、新しい音楽の運動が生まれました。

 

この音楽成立に関わった主なアーティストとしては、同じ学校に通っていた音楽仲間でありDJ集団も組んでいた

「ビルヴィレ・スリー」

が挙げられます。(3人の出会った場所が地元デトロイトのビルヴィレ地区であったため名づけられた)

 

〝ビルヴィレ・スリー〟

 

ホアン・アトキンス Juan Atkins

デリック・メイ Derrick May

ケヴィン・サンダーソン Kevin Saunderson


彼らの音楽はシカゴ・ハウスの影響を受けつつも、従来のハウス・ミュージックが持つ享楽性に対し厳しい現実を反映したシリアスな音楽を志向。

 

音楽雑誌の取材時にはより政治的・思想的な側面を打ち出していたそうです。

 

私、お恥ずかしいことながらDJ始めた当初数年の間はテクノってヨーロッパの白人がはじめた音楽だと勝手に思っていました…

 

おもくそ黒人の音楽だったし!

 

シカゴハウス〜の流れで

ビルヴィレスリーなる御三家がシリアスなエッセンスを注入した結果生まれたんですね〜

 

ま、いまあるYouTube動画みても私にはハウスと大差無い感じにみえちゃってますが…

 

オッサンになってるから仕方ないのか。

若い頃はとんがってたということかね。


特に第1人者であるホアン・アトキンスはその時すでにエレクトロのユニットの活動を通して一定の名声を得ていて、テクノロジーの上では電子的な音のギミックやベースラインを、思想としてアフロ・フューチャリズムと呼ばれる黒人特有のSF・未来志向を強調していました。

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1988年、やがて彼らが作っていたデトロイト発のレコードのヒットに目をつけたイギリスのヴァージン・レコードにより、その傘下から編集盤アルバムが発売されることとなり、広報の一環としてイギリスの雑誌

「ザ・フェイス」

内でデトロイトの特集記事が組まれ

取材の中でインタビュアーが

「あなた方の音楽をどう呼んだらいいのか?」

という質問に対して

ホアン・アトキンス

「おれたちはテクノと呼んでいる!」

と答えたそうです。

 

アルバムにはインタビューの内容と同期するタイトルがつけられ

「テクノ!ザ・ニュー・ダンス・サウンド・オブ・デトロイト」は発売されました。

Techno! - The New Dance Sound Of Detroit

 

このアルバムはヒットし、さらにシングル盤として分けられた

「インナー・シティ」の「ビッグ・ファン」はイギリスのダンスチャートのトップ10にランクインし、全世界で600万枚の大ヒットを記録しました。

Big Fun

 

ここに現在一般に呼ばれる

Techno「テクノ」

の成立です。

 

え?今のレコードショップで売っているテクノとは全く違うシティーポップさ笑!


そして

 

1988年〜1991年にかけてイギリス北部でセカンド・サマー・オブ・ラヴと名づけられたドラッグとアシッド・ハウスが結びついたムーヴメントが発生しその際シカゴ産のアシッド・ハウスの流行とともにデトロイト産のテクノも渾然一体となりイギリスへと流れ込み、ムーヴメントの初期から使われていたそうです。

 

デトロイトで産声をあげたのち、イギリスに渡って熟成されたんですね〜。

アシッドムーヴメントと共に。

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さらにこの流れはイギリスからヨーロッパ全土へと徐々に拡大して行き、激しいスタイルを持った4つ打ちの音楽はそれぞれの地において地元の文化と融合し(ハードコア、ジャーマントランス、ガバ)またはトランスなどの新たな音楽も生まれました。


このあたりについても後々記事にしていきたいですね笑。

 

イギリスでは1990年代に入ると大規模なレイヴの頻発とその要望により、主に大げさな音色と速めのブレイクビーツを使った音楽も生まれており、こうして1990年代初期にはテクノはヨーロッパで刺激的な音を持つ先鋭的なダンスミュージックというイメージとともに定着していきました。


テクノはこの様な発展の経緯により、発祥の国アメリカではアンダーグラウンドな音楽のままにおかれたまま、むしろヨーロッパの国々に広く親しまれているといった状況にあると言えます。

 

我が国日本でもアメリカと同様な状況と言えますね。

流石はアメリカの属国!

 

そもそもテクノはシカゴ・ハウスの影響を通じて生まれてきたということもあり、ハウスとテクノは兄弟、または姉妹みたいなもん。


もともとハウス・ミュージックにはあまり存在していなかった電子音を押し出していたホアン・アトキンスの一連の作品を除いては、音楽的にハウス・ミュージックの範疇から外れることはなかったと言われてもいます。


今で言うところのデトロイトテクノというか、昔のテクノってたしかにハウスと区別がつかない雰囲気ありますよね〜。

 

それが区別されるようになったのは、なによりイギリスのレコード会社と契約した後のマーケティング戦略の力であると言われています。


しかし現在、テクノとハウス・ミュージックとを音で比較した場合、テクノと呼ばれる音楽のほうがより速くハードに聴こえると思います。


これはこの音楽が広くテクノと呼ばれるようになった1988年以降の出来事によるものであるとされています。


1990年、ヨーロッパでレイヴが続いていたころ、より刺激的な音を持つテクノとみなされたレコード

代表的なところではニューヨークのジョーイ・ベルトラムによるエナジーフラッシュ

Joey Beltramエナジー・フラッシュ」

アンダーグラウンドレジスタンス(UR)


の作品などが続けざまに発売されヨーロッパへ流れ込み大きな衝撃を持って迎えられました。


今一般にテクノと言われる音が方向付けられたのはこのあたりであるとされています。

 

うーん、でもまだちょっと音圧軽めな印象ですね。

基本的な使用する機材の大元が80年代〜90年代のものであるということも言えますよね。

 

今世の中にある全てのモノゴトの源流は90年代までに発明されていて、現代ではそれが少しだけ性能をあげてはいるものの革新的な新しいモノは生まれていないのでは?

というのが私の持論です。

 

現行テクノの中で私が思うところの

最も完成度の高い作品のひとつをこちらにご紹介しておきます。

図太すぎる16分のベースラインに緻密に計算し尽くされたドラムロールが絡み合い、そして後半のACIDに酷似した強烈なエフェクト。

何度聴いても鼻血がでそう。

原曲は90年代にリリースされたPlastikmanのものですが、低音スッカスカの原曲をパワフルなベースラインと強烈なエフェクトを加えることにより見事なまでに現代版へと誘っている素晴らしい楽曲です。

 

まとめ

テクノはデトロイトからイギリスへ持ち込まれ、それがヨーロッパじゅうに飛び火して現在までのモダンかつミニマルでエクスペリメンタルなスタイルに発展していったワケでした。

 

この音楽の主な需要はヨーロッパにあるということですね。


ちなみに私のオススメする

日本のシーン黎明期から活躍するまさに職人技

日本人テクノアーティストの楽曲をこちらに


今回は以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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